ゴッドハンド時代の終焉と相対性、ノマディック by GOTO TESHIMA NAGISA

三拠点生活セラピスト後藤渚の消息確認ブログ: 今日はここにいます

20180809 セラピストの学びと自由についての考察①

こんにちは。

後藤手島渚です。

あっっっっっっっついですね!群馬も暑いですー。

とはいえ、夫もわたしも1日中カンヅメというやつで、夫はiPhoneとノート(Campusのいちばんシンプルな大学ノート愛用)をいったりきたり、わたしはiPhoneとPCをいったりきたり、しています。

「あの本」を書いてます。もうすぐ、ちょっと楽になる…がんばれ…と、悶絶しながら言い回しを考えたり、諦めてiPhoneに戻ってみたり、しています。

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夫はなんか「めっちゃ勉強になるわー、頭良くなったわオレ〜」みたいなこと言ってるけど…朝から20歩くらいしか動いてない気がするぞ。

もともと仕事の鬼ですからね。昨日も夜中までやってました。何をやってるかは謎です。とにかくずっとなんかノートに書いてる。

62歳…大丈夫かな。頭から煙出る前に休憩させないと。

 

さて。

きょうの消息確認は群馬の第3の部屋から一歩も出てないお知らせ、でしたが〜。

 

セラピストの学びと自由に関するバランスについて、ちょっと思い巡らせてみたいと思います。

 

セラピストってかなり怪しい仕事だな、と、自覚しています。

日本ではかなり権威のあるスクールにも行ったし、施術家の話を聞いたり、語ったり、ユーザーとしてもいろいろな施術を受けてみているわけですが。

なにかとゴニョゴニョしている。

歯切れが悪い、のが特徴ですよね。この業界。

 

いまだに、「無資格」と揶揄されることが多いのは仕方ないとして、ひとまず「何ができて、何ができないのか」と、冷静に考えてみたらいいと思います。

 

あと、セラピストになりたい、と思ったら、「何がしたいか」というのも大切です。

 

あはき師や理学療法士になった方にも、「こっちじゃなくてリラクゼーションがしたかったんです」と言う方も居たりします。

資格はあったほうがいいかもしれませんけどね…仕事として考えたときに、自分がやりたいことを実現しようと思うと、アーティストかというくらい狭き門だなと思うことがありますから。

収入にしっかりしていくという戦略か、または、もし収入にならなくても、続けていくという熱意が必要な気がします。

 

実際スクールで学んでも、セラピストとして個人で活動したり、サロンに勤めないという、お蔵入りセラピストも多いみたいです。

WTのセラピスト養成コースを終えた人は、数は少ないけど、ほぼ全員セラピストとして仕事をしていますけどね。

 

さて、わたしにとってセラピストと治療家の間には、絶対に超えられない意識の壁のようなものがあり、それによってリラクゼーションと治療という世界が分けられている、ような気がします。

 

たとえば…

泣いている子どもの手を引いて家に連れて帰る、または、やりたくない授業をいかにやる気にさせる…

泣いている子どもの話を座って聞いて1時間計経過、みたいな、または、やりたくない授業はやらなくていいよ〜の違い、みたいな。

そんな感じかな。

前者が得意な人は、なかなか後者にはなれないものです。逆もしかり…。

性格もかなり違うと思う…😮

 

わたしは世界は多様なほうが平和だと思っているから、違う考え、違う分野、新しいこと

、全然OK!って思うけど、あはき業界のかたにもそろそろリラクゼーションの世界を認めないまでも、「ま、それもありだよね〜」くらい思ってもらえるくらいにはなりたいと思ってます。日本では、鍼灸の偉い方がリラクゼーション(もとい、ボディケア)の現場を作られたのですし。

 

現実的に、治療にしかできないことは、怪我や病気を快方に向かわせるということだと思いますが、

セラピストにしかできないことは、からだとこころをリラックスさせるように丁寧に触れる、ということではないでしょうか。

 

で、セラピストは自由を手に入れるために学ぶべき。と、わたしは思います。

過去を踏襲したり、マニュアルを手に入れたりするためではなくてね。

 

メカニズムを学べば、からだの本質なニーズに沿って自由にタッチできるでしょうし、

過去の事例やテクニックを知れば、「触れる」世界に広がりが生まれます。

 

セラピストは基本、ビジネスとしては注目株ですが、社会的には野放しだと思うので、いまのうちにいろいろなテクニックを学べば、それだけ自由度が高まる…制約かからないうちに…と思ったりもします。

 

でも、もし「治療」とか「矯正」みたいな分野に興味が出てきたら、治療家になったほうがいいと思います。人のからだを、操作する、という方向性ですね。そこは、ソリューションの世界なので、ルールがあります。

 

学び方も、だれかに師事するのもいいでしょうし、たまに、独学です、という人にも出会います。最低限、「心地いい」「安全」であればいいのであれば、人間同士ですもの、「こうするばいいのかな」というのはわかるのかもしれない。

海外のセラピストはけっこう世襲も多いですしね〜。

 

さて、セラピストになぜ「自由」が必要なのか。

これはわたしもずっと永遠のテーマなわけですが…一つは、自分ではなく「人のからだ」に触れるという「セッション」である、ということがまずひとつ。

ニーズやタイプに応じ、柔軟に対応するスキルが必要。それが、安全に施術をすることにもつながる。

 

それから、人のからだのタイプまたは状態には、実は時間(時代)というものが大きく関わっているという点。

 

過去の事例を学ぶこと、すでにわかっていることを学ぶのも大切ですが、治療でないからこそ、もっと繊細な、今という時代の変わりゆく「からだやこころ」に触れていくことになります。学びは必要だけど、マニュアルすぎるのは妨げになると感じます。

偏見のない、柔軟な心で、人のからだに触れてみると、どんな人のからだにも生命の息吹を感じるでしょう。

それを、伝えることも、セラピストの使命のように思うから…

とくに、これからもっと人のからだは多様になっていくと思います。

時代の過渡期とともに、からだにも変化が現れるでしょう。

 

わたしたちが触れる手は、からだにいろいろな影響を与えます。わたしたちがかける言葉は、こころに漣をたてるでしょう。

そんなとき、施術を受けてくれた方が、できるだけ自分のからだを愛しく、軽やかに感じられるように、と、意識したほうがいいと思います。

 

 

セラピスト、リラクゼーション領域こそは、実はあらゆる「ボディビジネス業界」のサンクチュアリである、と思います。

世界のなかで、だれが始めたことなのか、なんだか正直わかりません。いろんな説があるけれど…もはや、人間の集合無意識が、そうさせているのか、とか、そう思うときもあります。

Art of Touch、ちょっとこそばゆい言いかただけど、それがいちばん正しいような気もするけれど。

 

まだわたしも手探りです。

はっきりと言えない、そんなところがまたこの世界の魅力なのかな。

 

 

GOTO

handisland Nagisa🐠